勿論、幸せになりたい。

想い想われマンドリル

世界で一番可哀想なのは私です。(結婚式の話その2)

という立場に立って書いたのがこの記事です。

 

結婚式やってよかったでしょ?と言われて夫に殺意を抱いた話 - 勿論、幸せになりたい。

 

当時は実際にそのような心境でした。

自分のキャパを超えた事態(しかも悩んだところでどうにもならないことが決定している)にどんどん視野狭窄になり、「私がこんなに辛いのに夫は○○」という分厚いフィルターがかかっていたように思います。一挙手一投足に落胆しました。

 

その経験を今まで人に話すことなくずーっと一人で持ってたんですが、今回ホットな話題の尻馬に乗ったおかげで思いがけずたくさんの人の目に触れる結果となり、大変溜飲が下がりました。

「あなた可哀想ね」と言われるのはプライドに障りますが、「これはひどい」と言われるのは気持ちいい。

出来事及び加害者(?)の方に関心が寄せられているように感じるからでしょうか。

女は共感の生き物と言いますので、超アドレナリン出ました。

ありがとうございました。

 

 

夫は確かに想像力の足りない人です。そして無邪気。

この頃の夫は夫親族や今まで関わった人々から得た数少ない「女性」のデータを一般化し、私にも当てはまるものと無条件に信じているきらいがありました。(現在リハビリ中)

ブコメに「地獄への道は善意で舗装されている」と書いてる方がいらっしゃいましたが、ある面ではそれも事実かと思います。

夫の母・姉は「結婚式は女性の夢!」というタイプで、かつ夫はちょっといいお家(当社比)の長男です。

初めて夫両親にお会いした時、毒親が万が一にも金の無心をすることのないようにしなければ、と反射的に思いました。

夫はそういう「問題のない家庭」で育ったのん気な人です。

 

 

夫を善人だと思う理由はたくさんありますが、ここまでの記事では一つも書きませんでした。これはもう少し素敵な話題の時にしたいと思います。

多分そのうちきっとハートフルなやつを書く予定です。

 

それと同じく、ここまでの記事で私の非についても書いてきませんでした。

何故結婚式をやったのか、その経緯について色々疑問もおありだと思いますが、最終的には私がそれを了解したからです。

 

子供の頃から私にはひとつ、どうしても譲れないこだわりがありました。

それは自分の家庭環境を他人に知られたくないということです。

こんな親兄弟を持って恥ずかしいという気持ちももちろんありますが、何よりも「自分が親にも愛されない存在である」ということを他人に知られるのがどうしても嫌でした。

これは、私のなけなしの自尊心のようなものだと思います。

昔からそれが原因で色々な不都合を抱え込み、その度に人間関係を放棄してきました。

今も連絡のとれる学生時代の友人というのは、私にはいません。

 

そして同様に夫にもこの事実を知られたくないと思っていました。

今考えれば結婚するのにそんなこと到底無理な話なんですけど、あまり人を疑わない夫につけ込んで、適当にごまかしながら何とか体面を保ちたいと思っていました。

結婚式を挙げる当日の私は、この期に及んでそう思っていたんです。

本当に、浅はかですね。

 

私は実家から遠くに住んでおり、そこで夫と知り合いました。

毒親兄弟は普段私に全く興味がないので、夫と私の両親が直接顔を合わせたのは事前の顔合わせと結婚式、この2回のみです。

ごくたまに私個人に連絡が来ることはありますが、うちの両親は夫とも夫両親とも直接連絡を取ることはできません。

したがって、私はこの2回を乗り切れば問題なく結婚できるのではないかと思いました。

この考えが馬鹿げていることは今はよくわかっています。

 

もともと夫と付き合っている最中(結婚の話が具体的になるまで)には自分の家族の話は一切しませんでした。

これは普段から誰に対してもそうで、一般論と相槌・同意で適当に乗り切っています。

結婚の話が出てから家族と上手くいっていないこと・長く実家に帰っていないこと・今後も関係を修復するつもりがないことを伝えました。

しかし、私と親兄弟がどんな間柄かを正確に把握するだけの情報は与えませんでした。

夫は結婚式当日にも、私と親兄弟は「常識的な大人同士が仲違いをしている」状況だと思っていました。

お互いに主義主張があるのだから、無理に仲良くする必要はないね、という程度の認識です。

つまり、家庭環境を他人に知られたくないという私のエゴにおいて、夫は始めから外部の人間でした。

その結果、結婚式を行うことやその規模に関して上手く(私の望むように)調整がつけられず、私は夫に理不尽な殺意を感じていたわけです。

この件に関しては、ひとえに私の自業自得です。

 

 

十代の頃、小林秀雄のエッセイがとても素敵だったので、彼が訳した地獄の季節という詩集を読みました。

正直芸術的過ぎて大局的な意味は全くわからなかったんですが、その中に

 

泣きながら、俺は黄金を見たが、―飲む術はなかった。

 

という一文がありまして、親兄弟のことを考える時、これが不意に頭を過ぎることがあります。

 感覚的な話なのでポエムみたいになってしまって恐縮なんですが、この文が才能について書かれたものであるという解説をどこかで見たときに、自分の中ですんなりと腑に落ちて、私は生来愛される才能がないんだなと思いました。

ずっと私以外の血管には黄金が流れていると思っていました。

そして、私の血液がそうでないことも、泣いていることも、夫にすら絶対に知られたくないと思っていたんです。それが、上等な人間の条件だと。

 

 

夫のことは確かに好きです。

でも、私は結婚がしたかったのではなく、結婚することで「愛される実績のある自分」が欲しかったのではないかとか、色々考えることがあります。

それでも、結婚して夫に全部ぶちまけた今が一番安定していることは事実です。

 

地獄の季節を読んだ頃、「朝から世界の終わりのような顔をして登校するのはやめなさい」と毎日担任に言われていた私ですが、今日は明日もいい日かなーとかのん気に考えています。

夫が帰りに牛乳プリンを買って来てくれることが今日の楽しみです。

 

今後もほそぼそと呪詛を吐いて生きていきたいと思います。